みなさんの思い出は残っていますか?
学生の頃の思い出は残っていますか?
卒業アルバムだったり、写真だったり、学校舎だったり・・・
震災遺構として被災した姿をそのまま残している学校を見学に行ったときは、胸がしめつけられました。
思い出が形として残っていることに感謝しましょ。
引き続き東北旅行をご紹介します。
東日本大震災遺構・伝承館
気仙沼市にある、東日本震災遺構・伝承館へ営業時間ギリギリでしたが、受付が間に合いました・・・よかった。。
ここには、その名のとおり伝承していくための資料館や震災遺構の気仙沼向洋高校旧校舎があります。
遺構は割とショッキングな内容でした。
震災伝承館
こちらで受付を済ませてから、「展示室」→「気仙沼向洋高校旧校舎」→「展示室」の導線に沿って見学が可能です。
入場は一般で一人600円です。
被災した学校の写真などが展示されている通路を順路に従い進んでいきます。
やはりどれも現実とは思えない・・・
気仙沼向洋高校旧校舎
この学校は水産高校として、地元では名門として知られていました。
震災のあの日、この高校にはなんと4階にまで津波が達しましたが、幸いにも先生・生徒は逃げており被害は確認されませんでした。
しかし、校舎内に残る瓦礫類(漂流物)をそのままに、当時を忘れないようにと2019年震災遺構として公開されました。
中を順路に沿い見学できるようになっていますが、いま自分が立っている場所にまで津波が押し寄せたと思うと恐怖でたまりません。
この写真の部分は校舎の3階です。
自動車が津波によって流されてきています。
そして、この写真にかなり胸を打たれました。
日常が一瞬で消え去ってしまう悲しみというか、、
いまの幸せを改めてかみしめました。
この写真の方たちに津波の被害がなかったことが本当によかった。
そして屋上に向かうとまた衝撃的な写真を目の当たりにしました。
こんな高さまで津波が来るんです。
【見学に行ったときの校舎】
【津波が押し寄せた校舎】
全員で迎えられなかった卒業式
気仙沼向洋高校の見学を終えると、また伝承館へ戻ってきました。
そこではさまざまな展示がされていますが、一番思い出というか、これまた涙を流してしまった映像がYouTubeにもある、階上中学校卒業生代表の梶原さんの答辞です。
これは、本当につらい。もちろん一番つらいのは彼らだけど、聞いている私も涙をこらえずにはいられませんでした。
答辞
卒業生代表の言葉
本日は未曽有の大震災の傷も癒えないさなか私たちのために卒業式を挙行していただき、ありがとうございます。
ちょうど十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。
私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通い慣れたこの学舎を、五十七名揃って巣立つはずでした。
前日の十一日。一足早く渡された思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らずに。
階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。
時計の針は十四時四十六分を指したままです。でも時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。
私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。
どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。
後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごしてください。
先生方、親身のご指導ありがとうございました。先生方が、いかに私たちを思ってくださっていたか、今になってよく分かります。
地域の皆さん、これまで様々なご支援をいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
お父さん、お母さん、家族の皆さん、これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。
必ず、よき社会人になります。
私は、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。
掲載しようか迷いましたが、この答辞はたくさんの人に見ていただきたいです。
静岡県も、昔からくるといわれている東海大震災が起きてしまえばどうなるかわりません。
今一度、防災への意識を高め、身を守る準備をしましょう。
東日本大震災・原子力災害伝承館
日は変わって、次は津波が引き連れた悪夢災害である、原発事故の資料館へ向かってきました。
この原子力災害伝承館は「つなぐ教訓 未来への道標。」をコンセプトに、災害がかつてないほど身近になっている今だからこそ、思い出さなければならないこと、改めて知ってほしいこと。福島が向き合ってきた日々、その轍は、未来へつながる一筋の道標であってほしい。という願いを込めています。
原発の仕組みなど、当時の新聞など様々な資料を見ることができます。
当時の住民の方へのアンケート、現在の住民の方へのアンケートを行い、原発のイメージについて掲載しているものなどがあり、とても興味深かったです。
被災者の方の語り部
当時、双葉町役場に勤務されていたという方が登壇して、当時の様子を話してくださいました。
とにかくてんやわんやで、用意されているマニュアルなんて全く意味を持たないし、外ではどうなっているのか?原発が大変なことになっていることすら知らされていなかったそうです。
こういう緊急時の役所の方は本当に大変そうだなぁ、と考えただけでも心労絶えない当時だったんだろうな、と感じました。
今まで、放射能の影響で帰還困難区域として指定されてきた双葉町ですが、8月30日に一部が解除されました。
語り部さんとこのことについても話ましたが、語り部さん曰く、
「もう既に外で家庭や仕事を持っている人が大半。きっと戻ってくる人はごく少数だね。そして、もう地元の人は以外にも震災についての関心は薄く、他の県の方々のほうがこのような施設に足を運び、関心が高い」
という風におっしゃっていました。
確かに、被災していない我々だからこそ、関心が高く風化させてはいけないと思っていますが、実際に被災された方は、思い出したくないのかもしれないですね。
↓当時(6月)の双葉町です。
双葉町産業交流センター
原子力伝承館のすぐ横にある双葉町の施設です。
ここにはレストランが入っていたので、昼食をいただきました。
名物の「なみえ焼きそば」をいただきました!!!
めちゃうまです。コッテリかと思いきや、意外と食べやすいのです。
かな~りゆっくりできる施設で、子連れでも安心して過ごすことができますよ!
学習にはもってこいの施設です。
福島県のリアル
今回ご紹介した数々はなかなかリアルなものだったではないでしょうか。
6月現在ですが、未だに東北ではこのような状態です。
この度をする前は、まったくなにも知らず「意外と復興しているのでは?」と軽い気持ちでいましたが、実際はまだまだ故郷に還ることことができない方々をいるのを忘れてはいけないですね。
手を取り合って頑張っていきましょう。